2009年7月23日木曜日

有教無類 - 真善美

「有識無類」と書いてあるものもあったとは思うが、正しくは「有教無類」らしい。論語の言葉だ。意味は、「人に貴賎があるわけではない。学問、教養が有るか無いかが問題だ」ということで、福澤諭吉も「天は、、、」で、この事を言っている。ピンカーは、「氏も育ちも」という言い方で、生得と獲得の両者だと言っていて、それは正しいが、生得的な優秀さも、獲得が無ければやはり無駄になる。何を考えていたかというと、日本人の教養とか、日本の教育システムがどうしてこんな事になってしまったのかという事だ。ホッブス的に言えば、人間は野蛮だし、惰弱だ。だからほっておけば、「宇宙の根本原理」が働き、衆愚へ向かう。それを阻止するのは、伝統、カリスマ、法律のどれかしかない。と言ったのはマックス・ヴェーバーだ。やはり、こう考えると、騎士層、エリート層をパージされ、政治を堕落させた占領政策の結果なのかも知れない。ソクラテスを持ち出すまでもなく、教育の基本は「真善美」の本質を教える事だと言う。これはマニュアルには書いてない。その社会の倫理であり、頭で考え判断する事だからだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿