2009年6月12日金曜日
Unbalance - しわよせだなー
昨日はほぼ外での活動だったが、今日は一日データ整理にあてた。「日本社会が何処から病みだしたか?」などとあれこれとデータを取る。まず自殺。これは山一の破綻の1997年から30000人/に跳ね上がったのは有名で、「終身雇用」などの従前の雇用システムの崩壊と失業拡大での失望だ。次にメンタル。うつ病が増えているという話。あれこれ調べると、どうも世界の中では日本は比較的健全だ。先進国中ではイタリアについでメンタル患者は少ない。といっても、山一の時からしばらくして2000年前後で患者数が跳ね上がっている。長時間労働か?いや、日本の総労働時間は劇的に減少し、今やアメリカより少ない。が、しかし、正社員の長時間労働割合は増加している。む?。てことは、正社員への負担が増えているのか?そうだ。労働統計からグラフを作ると、2000年を境に、正社員が減り、非正規社員が増えている。特に派遣社員がこの頃から登場したという事だ。ま、そういうことだな。当たり前だが。
2009年6月10日水曜日
リパブリカニズム - 公的な自由
1)プロテスタンティズム、2)共和主義の精神、3)個人主義的資本主義、この3つがアメリカという国の建国の精神だと言われる。特に2番目だが、イギリス王権から独立を戦った意味での共和国という意味に加え、行過ぎる民主主義への警戒という意味も含んでいる。つまりあまりに多くの人民が参加し、選ぶ物も選ばれるものも区別が無くなる大衆民主主義に抵抗するという事だ。大衆民主主義となると、それは一種の利権争奪戦となり、人々が公共心をもたず自己主張ばかりをすることになるという(どこかの国のモンスター親のように)。それではなく、共和主義では、公的な事柄について判断ができ、議論できる人達が政治を行う。そのためには、公共的関心や奉仕の精神、勇気や愛国心という「徳」を持つ必要がある。この徳を背景に活動し人々の賞賛を得る。これがもともとの「自由」の意味で、アレントが「公的な自由」と呼んだものだ。(佐伯啓思)
2009年6月9日火曜日
故郷喪失 - エートスな在処
佐伯啓思の「20世紀と何だったのか」を読んでいる。西欧近代から現代へ、そして西欧→アメリカ文明がいき着いたニヒリズム。ニヒリズム状態であることに気づかない究極のニヒリズム。などなど。と、そこでハイデガー。「現代の問題とはまさに故郷喪失である」という。その逆は「どこかに住まう場所を持っている」ということ。確かに、近代から現代の「技術主義」は存在の住処である実家を破壊してきた。我々は技術をただ道具としみなし、人が意のままに使うことで生活が便利になると考えてきた。ネット社会にいたり、人は更に家を、故郷を失い続ける。「存在の在処(ありか)は家である」とハイデガー。それは「親しくあること」ができ、「安らぐことのできるもの」だという。ギリシャ人はこれをエートスと言ったそうだ。「よい生き方」、「人々との社交」、「生活を律する価値や倫理」、これがただ一人の人間の個性ではなく、ひとつの集団のなかに現れてくるような精神の習慣だと。
2009年6月8日月曜日
存在と時間 - 我思う、、、
先週半ばから疲れ気味で早く寝るべく、夜はマクニールの「世界史」をパラパラと読んでいる。このところ昼間は、「今後の世界がどうなるか、日本がどうなるか」などと考えているので、やはり、ここは「人の世界の起源から」となるわけだ。昨晩は、「シュメール文化が2000年かけた文明をエジプト古代王国は500年で成熟させた」などという気の遠くなるくだりを読んで眠りに落ちた。なんて、考えながら、小雨降る中今朝は出勤。「もう梅雨か」と空。「冬は寒いが、この梅雨が終れば、又アツーい夏だ」と考える自分。NY暮らしを思い出せば、やはり日本の「四季」は穏やかな時間の流れの中の「たおやか」な変化だ。脈絡なく思い出したのが、シカゴ時代の新聞のコラム。「TEMPO」と言った。確か、シカゴトリビューンの日曜版のセクションだったが、早速調べてみると、まだあるらしい。アメリカは東西に広い。NYに代表される東海岸は、「あくせく」した文化、LAが代表の西海岸は「のんびり、殺伐」とした文化。一番「適度で、優雅」な文化(テンポ)がシカゴを代表とする中西部だと彼らは言う。確かハートランドとも言った。古きよきアメリカと言う事だ。
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