2009年2月19日木曜日
公と私 - 社会の基盤
NYのアパートの近くのすし屋の話を、4年前のブログ初期に書いた。カウンターが混んでいなかったから、そういう時間を選んだのだと思ったが、家族連れ、つまり両親と子供が3人居た。親はスマートなビジネス風、子供は小学生位だが、高級私立風の制服姿だ。親が箸の持ち方、ネタの注文し方、食べ方を「静かに」教えている。感じたのは、「お、グローバル教育してるな」と「公共の場、つまり大人の場(公)への子供(私)同伴に対する気遣い」の二つだ。一方日本。先日あるすし屋に行ったのだが、なんだか派手な若妻風母親が、3人の子供と「お手伝いさん」(彼女はそう呼んでいた)の5人がカウンターを占拠。騒ぐ子供に、ウニだ、イクラだと食べさせる。挙句の果てに店員にジュースを買いに走らせた。モンスターペアレントしかり。ギリシャの昔、始めに「私」があり、そこから議論の積み上げで「公」を作って行った西欧社会の「公と私の基盤」と、「なんとなく」社会を作ってしまった日本の差を「強く」感じた。人が集まれば「社会」はどうにでもできるのだが、社会にも「よい社会」と「悪い社会」があるように思えてならない。又勉強しなおそうと思う。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿