2009年5月20日水曜日

社会の成り立ち - 自由の相互承認

アジア風邪は私が小学生の時だったが、なんとなく家族で枕を並べて寝ていたような記憶がある。その後高校生の頃に、ソ連風邪があったというが、その記憶はない。今回のやつは、まだ終ってみなければ顛末は分からないが、過去にものに比べてどうなんだろうか。今は関西だが、間違えなく東京へもやってくるだろうが、その時はかなりの騒ぎになりそうだ。過去の場合も、やはり報道などは大騒ぎしていたのか。ネット社会ではなかったから、諸外国の情報の伝達も遅かったし、ましてや今回のメキシコでの初期の映像なんてのは無かったろう。しかし、アメリカではどうかと考えると、まったく無視はしていないだろうが、どう考えても、日本のような大騒ぎはしていない。つまり、メディアに踊らないと言う事か。自分の頭で考えて判断する自律した個人が作る社会か。逆に日本は、誰かが作り動かす社会の中で、もがく個人と言う事か。どちらも社会は社会だが、どういう社会かどうかが問題なのではないか。

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