2009年5月21日木曜日

ゲシュタルトの祈り - 自立と自由

昨年までの自分だったら、結構大変だったかもしれない。殆ど毎月NYと東京を往復していたからだ。もしNYへ居たなら、しばらく帰国ははばかられた事だろう。そういえば、5-6月に卒業する、米国への留学生達の帰国は今年はどうなるか?6末には、彼ら対象の就職イベントなどがあるが、もしかすると注目度が高まるか?マスク姿はまず間違えないところで、TVニュースにもなりそうだ。さて、休校や、旅行中止が増えているが、こういうときほど現場での個人の判断が試される。NYタイムズを見ると、NYでも今日新たに2つの高校が休校だが、市の教育委員会の指示と書いてある。日本では、こういう事態になると、上へ上へと判断を仰ぎ、個人の判断を回避する。それはやはり、個人と社会の構造の問題だろう。ちょっと関係なさそうだが、野球の審判の態度をよく考える。アメリカでは、審判という個人がルールブックで、日本はマニュアルのルールがルールブックだ。もちろん、アメリカでは審判は個人のスキルの自己研鑽は怠らず、その「個人の判断」が一つの醍醐味となる。私は私、あなたはあなた。対等で自立した関係で成り立つ社会だ。

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