2009年8月25日火曜日
ちからへの意志 - LSD
「生きるちからに溢れていれば、真理は不要だ」と言ったのはニーチェという事になっている。これは、、生物が環境を認識するのは、食糧を得て生存するためであり、環境変化への対応が要求される。しかし、生きる事に疲れると、変化しない物に憧れるようになり、「永遠の真理」という「かたち」を求めるようになる。つまり、生きる「ちから」が溢れた生物には真理など邪魔なだけだ、という事だ。「かたち」か「ちから」は、いつも考える事だが、ここ2週間ほど、マラソンに備えて基礎運動をしているが、明らかに体が変わってくるのがわかる。こういう基礎運動は、何か目標がないとなかなかできないので、この10年サボっていたのだが、今明らかに「ちから」が感じられる。と、自分を鼓舞する。さて、「真理」で写真を探したら、でてきたのは、「あまちまり」だ。
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